Blink.

こんにちは、はじめまして。

近況とこれから

 

ご報告、というほどでもないのだけど。

近況と今後について、

かなり長くなりそうですが書きます。

 

今の仕事を始めて7年目。

今月末で退職することにしました。

そして来年1月から新しい仕事に就きます。

 

それに伴って引っ越すことになりました。

というか当初から転居を目的とした、

転職活動だったのですが。

これからは人生で初めて故郷を出て

京都で新しい生活を始めます。

アラサーにして初一人暮らしです。

 

 

 

 

京都で暮らすこと

 

ブログにも旅行記を書いたことがあるけど

以前から京都暮らしに興味をもっていた。

きっかけは2018年のひとり旅で鑑賞した能楽

 

長い歴史の結晶を現代の生身の人間が

体で表現している姿を目の当たりにして

いたく感動し、この文化が醸成された街で

暮らしてみたいと思った。

というか住んでみないとわからないことが

きっとたくさんあるんだと思った。

それを肌で感じとりたかった。

 

元々ずっと故郷にいるつもりもなかったんだけど

地元に就職したら、そのままずるずる過ごしてしまい

そろそろ潮時かな、と思っていた。

心機一転、新しい環境に飛び込みたかったから

その場所を選択するなら「京都」だろうと。

 

そこに縁の人もいないし

まったく違う文化圏だし

「よそ者」としていくことに不安はあっても

それ以上に興味が優っていた。

 

転職活動がうまくいかないなかで2年半もの間、

よくこの気持ちが折れなかったなと

自分でも不思議に思う。

きっと、ただ純粋な知的好奇心だけが

自身を支え、奮い立たせてくれていたんだと思う。

 

新しい職場では京都の文化に触れ合いつつも

今に関わることもできそうなので

今からとてもわくわくしている😎

 

今の職場を離れること

 

医療現場で働く、ということに関しては

また別に書こうと思うが

様々文句を言いつつも勉強になることが

多かったのは良かった点だ。

医療の知識は今後も生活の中でずっと役に立つ。

 

ただ人のセンシティブな部分を扱う場所は

心を消耗させるような場面も多い。

時には現場がかなりピリピリしていたり

自分もそうなってしまうことが多々あった。

 

そんな「嫌な自分」を自覚して

自己嫌悪に陥るのは本当につらい時間で、

だから自分のためにも周りのためにも

この環境から出るべきだとずっと思ってた。

 

業務量が増えてくると

それに伴って拘束時間もどんどん増え、

体力的にも精神的にもしんどくなっていった。

好きなことをする気力もなく、

自分らしい生活なんて、二の次の毎日。

 

今の医療現場なんてどこも余裕ないだろうから

そんなもんなのかもしれない。

でもわたしは人生の限られた時間を

負の感情を持ちながら過ごすのはもう限界だったので

転職を決めて本当によかったと思っている。

 

本当、人生っていつ何があるかわからないから。

これを病院でひしひしと感じたから

違う生き方について考え始めたっていうのも

皮肉なようだけど。笑

 

周りの人は優しい人が多かったから

寂しさは当然ある。

(全ての人が、とは言わない。笑)

特に上司や名誉院長、部署の先輩方には

本当に本当にお世話になりっぱなしで。

皆がお父さんやお兄さんお姉さんみたいで

わたしは結構甘えさせてもらってたと思う。

 

退職の報告時は急な話で驚かせてしまったけど

一緒に喜んでくれて応援してくれる人が多くて

嬉しかった。

今まで情けないミスをたくさんしてきたけど

見捨てずに支えてくれたことに本当に感謝。。

 

でもわたし、やり切った感はすごくある。

自分にできることは誠心誠意取り組んできたつもり。

努力も精一杯してきたつもり。

思い残すことはない。

やり残したことも多分、ない。

短くも長くも感じる7年弱。

頑張ったよわたし。

 

全力出しきって今は逆にすっからかんだから、

寂しさはあるけど意外と身軽な気持ちなの。

お散歩感覚で次の街に行けそうな感じがあるんだ。

 

新年からはまた新人に戻るから

新しいこといっぱい吸収して

自分の頭の中をどんどん拡げていきたい。

まだまだ脳を細胞分裂させていきたい!

 

 

さいごに

 

そんなわけで。

気付いたらずいぶん長く書いていたけど

とりあえずのご報告でした。

もし知り合いの方で

お近くまでいらした際は連絡ください。笑

 

今月末には引っ越すわけだけど

実はまだ準備が全然進んでいなくてまずいのだ。

 

初めての引っ越しでわからないことや

やらなきゃいけないことが多すぎて

若干心が折れている💔

残念ながら有給全て消化できなくて

19日まで普通に仕事なんだけど

果たして引っ越しはちゃんと終わるのか!

まあ何とかなるよね〜〜

 

今年もあと少し。がんばろ。

 

 

 

名前の星回り

 

私の名前は「ゆり」という。

天体観測をライフワークにしている父が、

宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンにちなんで

付けてくれた。

男に生まれたとしても同じ漢字で

「ゆうり」という名前にしようと

思っていたらしい。

なかなかハイカラでかっこいいと思う。

ユーリくん。

 

 

その甲斐あってか?私は昔から

兄妹の中で一番、宇宙に興味を持っていた。

宇宙のことを考えていると、心が解放される。

だから人間関係のゴタゴタや諸々のストレスに

心がやられそうになったとき、

私は空を見て自分の名前を思い返す。

心が少し楽になる。

自分自身を思い出せる。

だからこの名前が大好き。

 

そして宇宙好きの繋がりから西洋占星術

いわゆる星座占いも昔から好きだった。

先日、名前と星座に関するとてもおもしろい、

というか奇跡的な発見をしたので記録しておく。

 

占星術で使われる星座は

牡羊座から魚座までの12個。

それぞれが持つ性質は【火・地・風・水】の

4つの元素(エレメント)に分類することができる。

(他にもいろんな視点のグループ分けがあってなかなか面白い)

 

その中で私の水瓶座は風グループ。

情報、知性、理論などがキーワード。

また水瓶座に関して言えば、

改革・革命・科学など進歩的な項目が並ぶ。

だから宇宙飛行士からとったこの名前は

水瓶座生まれの私にはピッタリだ!と

それだけで感激していた。

ゆりの「り」は、理論の「理」だし。

 

その流れで先日「そういえば」とふいに思い

兄と姉の名前と星座について考えてみた。

 

兄のエレメントグループは「地」

姉のエレメントグループは「水」

 

と、そこで気付いてしまった。

兄には「樹」、姉には「潤」という漢字が

使われている…

 

に根差す「木」

の「い」

 

漢字の表す意味とエレメントのイメージが

こんなにピッタリはまるなんて!!

同じ読みの漢字が多数ある中で、だよ。

 

しかも父に直接聞いたら

宇宙に関する名前をつけたのは私だけで

兄や姉の場合は、読みや響き先行というより

前述した漢字を名前に入れたいと思って

考えたそうだ。

つまりその漢字を狙って付けている。

 

父は占星術には全く興味がないし

私が嬉々としてこの発見を話しても

「へえ~そうなんだ」くらいにしか

反応していなかったけれど。

これ偶然なのだから、尚更すごい。

奇跡すぎる~!!と思って

私はめちゃくちゃ興奮しました。笑

(ちなみに姉も父とほぼ同じ薄い反応だった)

 

宇宙との繋がりを感じられる名前をもらって

本当にありがたいなあと常々思ってきたけど

兄姉にまでこんな感動的な発見をしてしまうと

運命的なものを感じてしまってならない💘

 

こんな嬉しい偶然を見つけられたのも

長年、宇宙に情熱を注ぎ続けている父が

無意識的に引き寄せた結果なのかも🌟

そう思うとめっちゃ夢があるよねえ〜

 

この名前を一生誇りに思って生きよう。

 

 

10年

東日本大震災から10年経った。

 

10年というと0歳が10歳に、

10歳は20歳の成人に、

そして当時20歳と1ヶ月だった私は

30歳になった。

 

こうやって数字で見ると

とんでもなく長い時間に思える。

 

ただ私にとって全く実感がなく、

数字の印象だけが先走ってる。

つい2、3年前くらいの出来事のように思える。

 

当時は大学2年の春休み。

そこから考えればこの10年、

もちろんたくさんの環境の変化があった。

 

今当たり前のように私がいる環境や

周囲の人間関係はかなり大きく変わった。

 

そもそも大学を出たし、音楽学校も出たし

就職をして5年も経った。

 

 

姪も甥も飼っているうさぎも

まだこの世に生まれていない。

数年前事故で亡くなった、

従兄弟のおにいちゃんもまだ生きていた。

 

そんな時代にあの震災が起きたのだ、

と思うととんでもなく昔に感じる。

けど当時を思い出せば全く昔に感じない。

むしろ当時の時間が遠くの私の中にすら

まだ漂っている気がする。

なんとも不思議な気持ちを抱く。

 

 

 

父は福島の生まれで

特に原発事故の映像やニュースを見るたび

今でも静かに憤っている。

 

首都圏の電力確保のために

犠牲になり続けてる故郷をみて

震災当時は特につらそうな様子だった。

 

近所のレジャー施設に福島県民が

避難してきた時も支援物資を持って

話をしに行っていた。

行かずにはいられなかったのだと思う。

そんな父を見るのが少しつらかったのを

覚えてる。

 

 

私は震災のちょうど1ヶ月前

2011年2月11日 家族と仙台にいた。

1ヶ月予定がずれていたら

あのど真ん中にいたのかもしれない。

たまたま1ヶ月前だっただけで

巻き込まれずに済んだ。

 

偶然の重なりで私は今も

運良く生きていられている。

 

それぞれの人がそれぞれの場所で

それぞれの思いを持って

生きてきた10年だと思う。

そのすべてが無駄ではないと思う。

 

私もこの10年抱いてきた思いを

全部心に留めたまま

また一日一日を重ねていくぞ。

 

 

 

30歳

 

2月7日。

あれよあれよという間に

30歳を迎えてしまった。

とりあえずこの日が越えないうちに

今の所感を書き残しておく。

 

みんなもそうかもしれないが

まず第一に全く実感がない。

重みがあるはずの節目に

なんの気持ち的な重みがなく

驚いている。

焦った方がいいのか?と悩むくらい。

 

ただ昔に想像していた30歳とは

明らかに違う。

時代も変わってるから仕方がないけど。

30歳にもなったら子どもの一人や二人

当たり前にいるものかと思っていた。

むしろそれ前提で、

どこに住んでるんだろう?

海外かなあ〜〜?

とか高校の時とかは

呑気なことを考えていたと思う。

人生とは不思議なものである。

 

今年は外食を控えて

家でゆっくりお母さんの手料理を。

こんな誕生日ももう数える程しか

ないのだろうか。

親と子だけの誕生日。

両親にとっても

いい時間になったならいい。

 

20代ラストイヤーは

コロナで棒に振った。

もっといろんなこと経験したかったし

いろんな場所へ行きたかった。

いろんな人に会いたかった。

まあこれも運命でしょう。

 

ただ20代全体を考えると

大学時代があって

音楽学校へ行って

就職して、、、の

節目だらけの年代で

やっぱり楽しかったし

思い出深い事ばかり。

当たり前だが全てが今の自分に

還元されているのだと思うと

感慨深い。

こんな未熟な人間に

出会ってくれた人全てに

関わってくれた人全てに

感謝したいと思う。

 

現在の私はというと

周りの人生がひとまずの安定へと

向かっていくのに反して

フラフラして絶賛模索中であり

今後の予定や見当が全く付いていない。

 

完全にポジティブな気持ちではないが

だからといって悲観してもいない。

なんかこれが私の人生なのだな

という感じ。

 

周りに流されて焦って

人生の選択を急ぎたくない。

急がなきゃいけない理由も

まあわかるのだが。。

 

一つ一つをじっくり考えて

人より決断が遅いかもしれないけど

自分で納得して歩を進めるのが

私かな、と。

 

家族にはずっと心配かけて

悪いなあという気持ちも

もちろんあるけど

自分は偽れないしな。

 

30代は人生が大きく動く年で

あってほしいけど

どうなるんだろうねえ。

今の気持ちは

不安:期待=2:8

って感じかしら。

 

ありがとう!実り豊かな20s。

幸あれ!未知の30s!

大好きな人たちが

ずっと健康でありますように。

 

 

 

2020

 

2020年最後の日になりました。

まあわたしも日本も世界も大変な年でした。

今年できたことが何もない。

ほぼどこにも行けてない。

休みはほぼ家。

遠く離れている家族にも会えない。

いいことが一つも思い出せない。

失われた年になってしまった。

 

わたしの業界はもろ影響を受けて

振り回された一年だった。

やらなきゃいけないことだらけ。

変わってしまうことだらけ。

 

院内の構造や動線が変わり

手順が変わり、手間が増え

一言でいえば「面倒」になった。

日に日に変わる制度を知らせる資料が

厚労省や県庁から送られてくる。

目を通して覚えて

覚えたと思ったらまた変わって。

めまぐるしくて追いきれない。

 

病院の取り組みを理解してくれず

心無い言葉を投げてくる人もいる。

それはそれはストレスの多い日々で

加えて人員不足というのもあり

現場がピリついてる毎日だった。

 

医療従事者ということもあって

普段の行動も気を使うし

本部からもプライベートの行動を

いろいろ慎めと通達来るから

就活以外で出かけることはなかったし

趣味の美術館鑑賞とか

音楽ライブとか観劇とか映画とか

なーーーーーーーーんにも出来なくて

長距離の公共交通機関の利用も

リスクがありそうだから

あんなに行ってた東京に今年は10回も

行けてないんじゃなかろうか。

 

いろんなことで疲れちゃって

何で気を紛らわしたらいいのかも

わからなかった。

好きなことにも何一つ身が入らなかった。

こんな思いをしてる人が地球丸ごと

いるんだろうね。

でももうずっとこんなことが続いていくんだろうな。

しばらく海外とか行けないのかな。

 

 

あと自分の中で振り返るとすれば

今年は転職するという目標を

年内ではとうとう達成できなかった。

悔しい。情けない。

ある程度選考段階が進んだ上で

落とされてしまったときの落胆は

かなりでかい。

落とされる人間の方が多いと

わかっていながらも。

 

なんだろう、多少の意地というか

自尊心みたいなものだろうか。

自分を買いかぶるつもりはないけど

なんか奇跡を願ってしまうんだよね。

それが毎回がっかりしておわる。

 

まあなにはともあれ今年は

残念な結果に終わってしまい

自分自身に申し訳ない気持ちでいっぱい。

本当に力不足でごめんね、わたし。

方向性もいろいろ見直さないと。

 

やっぱりいろんな意味で

今の職場にいるのは潮時かなって思うし

違う仕事もしてみたいし

2021年のうちには必ず決着をつけたい。

 

あ、一個思い出した。

今年の変化といえば髪が伸びた。

伸びたというか切りに行けなかった。

ショートボブ系だったのが

セミロングくらいになった時、

結果的にあれ?意外といいかも?と。

 

何ヶ月か前に久しぶりに美容院行った時は

伸ばした髪がもったいなくなって

肩くらいの長さにしてもらったら

そのカットがまた素敵すぎて

長めもいいじゃん!って感動した🥺

だから今はほんと数年ぶりに髪が長め💇‍♀️

 

とはいっても、それからまた数ヶ月

美容院行けてないので

短くしすぎず整える程度で

また少し長めの髪型を楽しみたいな〜〜

 

 

今年は思い残すことばかりだけど

2021年はもっと前向きに!

もっと自分に投資して

自分のために生きることを目標に。

 

でもね不思議なもんでこんな年の終わりでも

なんだかんだ大晦日になってしまえば

テレビで紅白見ながら暖まってることに

満足してしまってる。

だから大丈夫。

こんなにつらいことが重なった年も

こうして越えてこられたんだから。

来年も大丈夫。 

 

今はまだ真っ直ぐ肯定できないけど

何十年後に振り返ったとき

今年にも何らかの意味があったんだと

思うことができますように。

 

そしてなにより

大好きな人たちが平和に健やかに

過ごせる年になりますように🕊

 

皆さま よいお年をお迎えください。

来年もよろしくネ。

 

 

 

おじさん

 

二日前、大伯父がなくなった。

来月93歳になる予定だった。

 

いわゆる昭和の人間といった感じで

寡黙でシャイで真面目な性格だったけど

たまに垣間見える笑顔が素敵な人だった。

 

私の祖父は酒とタバコのやりすぎで

長年の不養生がたたり

私が生まれる前から体を壊していたし、

私が物心ついた時には若いのに

杖をつかないと歩けなくなっていた。

 

そんな祖父だったから

母は小さな時からものすごく

苦労して育ったのだ。

 

だから母にとって

伯母、伯父、叔父は大きな存在で

ものすごくお世話になったらしい。

もはや親のような存在かもしれない。

 

 

私も幼少期は随分とお世話になった。

両親が共働きだったし

祖父は足が不自由なので

小さい頃はお祭りに連れていってもらったり。

 

キャップを被って

自転車でよく家に遊びに来てくれたなあ。

 

ここ数年は認知機能が悪くなり

会話もできないような状態だったけど

私にはまだ元気なあの日の大伯父の姿が

脳裏に焼き付いている。

 

おじさんありがとう。

お母さんとおじいちゃんを支えてくれて。

困難な状況にいた母に

希望を与えてくれた一人だと思います。

ありがとう。

おかげで私がここに生きています。

 

決して目立たないけど

主張しないけど

静かな優しさを私たちはいつも感じていたよ。

 

大切な人を見送るのはつらいけど

92歳、大往生です。

おばさんと随分長く離れていたから

向こうで二人、穏やかな日々を過ごしてね。

 

 

 

ゆめ

 

昨日の朝見た夢の内容が

結構衝撃的で一日経っても

頭の中でまだ尾を引いてる。

 

夢のなか、

私は長く気になってた人と

どうやら結婚したようで

覚えてるのは

初産を終えたあとから。

 

もう退院してた私はなぜか

学校みたいな建物にいて

その最上階でいろんな人に

我が子を見てもらってた。

 

そこにその人もいた。

もちろん父親として。

 

あれ、この人

この子の父親なんだ。

あ、じゃあ私は

この人と結婚したのか。

と思った。

 

 

かわいい子供も授かって

穏やかで優しい旦那さんもいて

私はこれからずっと

この街(知らないとこ)で

暮らしていくんだなあ。

 

そう思ったら

急に悲しくなった。

急に喪失感に襲われた。

 

今現実に私が抱いてる夢が

頭の中に浮かんできて、

 

じゃあもうあれは

諦めなきゃダメだ、とか

 

相手の仕事のこともあるし

結婚して子供生まれたら

自由にあんなところへは

行けない、とか

 

嬉しいはずなのに

ネガティブなことばかり浮かんで

 

もう元には戻れないんだな、

やってしまったな、って思っちゃう

そんな自分が悲しくなった。

そこで目が覚めた。

 

 

はっきりした気がする。

私にはやっぱり今の目標を

叶えることが必要なんだと。

 

今の街にいても

好きな人と一緒になれれば

幸せかもしれないと

思ってたけど、

まあ実際そうなったら

どう思うかはわからないけど

心残りがあるまま諦めるとか

妥協する、みたいなのは

絶対ダメだ。

 

どっちの選択にも

寂しさはあるけど

行くしかない!

向かっていくしかないよね。