Blink.

こんにちは、はじめまして。

「柳家喬太郎 独演会」に行ってきた。

柳家喬太郎師匠の独演会に行ってきました。

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2月13日 京都府民ホール アルティにて



待ちに待った生キョンキョン
地元にいた頃からずっと見たいと思っていた噺家さんでした。
ご一緒に出演されてたのは柳亭市弥さん。

演目は
一、たらちね 喬太郎
一、のめる 市弥
一、擬宝珠 喬太郎
  仲入
一、やとわれ幽霊 喬太郎

「のめる」という話は
落語がテーマの大好きな朝ドラ「ちりとてちん」で
出ていた「二人ぐせ」という話と同じようだった。
上方落語だと話のタイトルが変わるのだろうか。
ドラマで知った話を実際の生の落語で聞く感動があった。
市弥さん、とても声に雰囲気が宿ってて好きな声だった。
今年、真打に昇進予定とのこと!
おめでとうございます✨
昔好きだった人に似ていて、変なドキドキを味わった笑


喬太郎師匠の話は全部初めて聴く話。
新鮮な気持ち。

お客さんは皆、キョンキョンのことを
すでに好きだからだろうけど
話す前から、高座にあがるところから
どこかこう、おかしい空気がするっていうか。

この人は絶対おもしろい話をするぞっていう
期待値を周りのお客さんからも
舞台からも感じるという、、、
なんだろう、オーラ?
本当に稀有な存在。

当日の会場は昼夜公演であったけれど
昼の部は随分前から完売、
夜の部もほぼ満席。
上方落語の土地ながら、江戸っ子節全開の彼の話で
会場は爆笑の渦だった。


キョンキョンはとにかく枕がおもしろい。
噺家さんはみんなそうだろうけど
その会場の雰囲気や客層などを
本当によく読み取ってる。
うまく言えないが、とりあえず話術による求心力がすごいのだ。

今回も、西日本ツアー中の出来事や
エヴァタクシーの話、
精巧な現代のガチャガチャの話から
往年の大師匠方のガチャガチャ(架空)の話、
前座時代の林家三平師匠との思い出話など
いろんな話をしていた。

本題ももちろんおもしろいけど
本題の話の中にも所々にふと実際の私たちとの
会話?やりとり?に立ち返る時があって
置いてけぼりにされない感じ?というのだろうか。
現在出演しているドラマの小ネタを
ぶっこんだりもしていた。笑

いずれにせよ最初にがっちり心掴まれてるから
古典だろうが新作だろうが引き込まれてしまうのだ。

おそらく当日の客層の想定は
同年代〜上世代なのだろうが
世代・年齢を問わず、笑わせてしまう凄さがある。
天才だ。まさしく天才だった。

なんというか感性が瑞々しいというか若いというか
うまく言えないが、広告通りセンスがほとばしっている。
いわゆる一般に想像する「古典芸能」としての
「落語」みたいな概念は、この人の話からは消える。
と、私は思う。


柳家喬太郎」を知ったきっかけが何だったか
今では全然覚えてないんだけれど
きっとYouTubeで落語を検索してて
たまたま見た動画が最初だったと思う。

それも古典じゃなくて彼が作った新作落語
「ハンバーグができるまで」
「夜の慣用句」などだったかと思う。
これが本当に良くできていて
感心してしまうオチだったりする。

今回の最後に演った「やとわれ幽霊」も
彼がつくった新作落語だが
彼のつくる落語は予想外の素晴らしいオチを
もたらすときがある。

「うまい」のはもちろん、
希望、哀愁や郷愁、そして背中を押すような
あたたかく、ほろっとするようなメッセージを
感じる時がある。
それは彼自身の感性がもたらすもので
そこに感じる彼の愛情がなんか好きなのだ。

「やとわれ幽霊」はもちろん笑いどころの
たくさんある話だが、最後に少し切なく
そしてじーんとくるような話だった。
この人の頭の中はどうなっているのだろうか。
突拍子もないシチュエーションから
こんな最後にたどり着くなんて
誰も想像できないだろう。すごい。

 

 

この会が終わってから、駅近くのコンビニにいき
テキトーに晩ご飯を調達した。
これから今夜の献立を考えて自炊するなんて
とてもしていられないと思った。

生の喬太郎に圧倒された私は
そのことしか考えられなくて
ぽーっとしたまま家路についた。
それから3日くらいはこんな感じ。
これはもう、ほぼ恋といっていいかもしれない。笑

落語聞いてこんな気持ちになったことなんか
なかったもんだから気もそぞろで。

それから積読がたくさんあるにもかかわらず
彼の本を2冊ほど買って、今読んでいる。
本当に笑えるくらい影響されやすい私😂

6月にも再び落語会をしてくれるようなので
今から絶対行こうと意気込んでいる。
まさかこちらに移って
こんなに早くお目にかかれるとは。
いやあ、街中に住むっていろんなことが
便利でいいですね。

最後に私の大好きな「夜の慣用句」と
「コロッケそば(時そば)」を。

youtu.be

youtu.be



ちなみに見た目より年齢はずっと若いんですよ。
まだ50代。
いつまでもお元気でいてほしいねえ。

今夜も少しばかり本を読み進めて寝よう。


 

『ウエスト・サイド・ストーリー』を見てきた

めちゃめちゃ久しぶりに
映画館に行ってきた。

コロナもあって病院在職中は
我慢していたし、
なによりウエスト・サイドは
絶っっっ対に映画館で見る!
と決めていたので。

映画はそんなに見る方ではないので
正直良し悪しとかはわからない。
ただ自分の感覚で感想を言うならば
純粋に見に行ってよかったと思った。


✂︎ 以下ストーリーにも触れます ✂︎

 

 

 

よかったと思うところ。

✴︎オリジナル(1961)に思ったより忠実

 スピルバーグがミュージカルと聞いて
 どんな感じか想像つかなかったけど
 本当にちゃんとミュージカルだった。
 変に現代化とか変なぶっ込みがなくて
 安心して見ていられたし、
 オリジナルへのリスペクトを感じた。

✴︎アニタ役のアリアナ・デボーズ

 とにかくパワフルで存在感あって
 かっこよすぎる!の一言。
 見てるだけでこちらのテンションがあがる。
 なんていうか迫力?貫禄?すごすぎる。
 これでこそアニタ😭 

✴︎マリア役のレイチェル・ゼグラー

 表情と歌声がとてもよかった。
 前作のマリアよりあどけなさが残る。
 天真爛漫で可愛らしかった🌻
 “I Feel Pretty”の夢見る少女感が好きなのよね。 

✴︎リフ役のマイク・ファイスト

 出で立ちや表情が、不安定さと
 危うさと凶暴性を纏ってて
 すごく引き込まれた。
 ジャックナイフって感じ。笑
 それでいてものすごくトニーに
 執着?みたいなものがあって。
 愛を知らない少年の姿が
 そのままあるようだった。
 正直トニーより存在感あった。
 あと単純に顔が好き。

✴︎チノの取り上げ方

 結構大事な役どころなのに
 オリジナルではそんなに存在感を
 感じられなかったのだが(私だけ?)
 今回はよくフィーチャーされてて
 ベルナルドとの関係とか
 チノ本人の気持ちとか行動の動機が
 描かれていて生きた役になってた。
 出番は多くなくても存在感ある!
 これはオリジナルとは違う点だけど
 いい意味での変化だった!

✴︎リタ・モレノの再登場

 オリジナルのアニタ
 リタ・モレノが出ていた。
 むしろ彼女を登場させるために
 ドクを彼の妻役に変えたんだろうな〜
 御年90歳とは思えない!

✴︎俳優さんたちのダンスのキレ

 言わずもがな、ですが。
 やっぱりWSSはダンスが見どころだよね〜

 


ちょっと残念だったところ。

✴︎トニーの存在感

 取り立てて悪いところもないけど
 良いところもそこまでかな、という印象。
 繊細といえば繊細だけど。
 まあ元々は純朴なんだろうなってのは
 伝わったかも。だからこそ悪に流されて
 今まで生きてしまって服役を機に
 改心しようとしてるけど、
 過去の積み重ねが拭いきれなくて
 弾みで出てくる凶暴性みたいなのは
 怖かったね。
 
 でも!マリアが死んだらしいって
 聞かされたときの表情は「すご...」と
 思うくらい、リアルで驚いた。
 ぐっと胸を潰される苦しさがあった。
 そこはめっっちゃくちゃ良かった!ので
 その表情だけもう一度見たいなと思う。
 
 でも元々WSSはストーリー的に
 ベルナルドとかアニタとかリフが
 どうしても存在感でちゃう気が
 しないでもないけど。

✴︎ベルナルドのキャラ・描かれ方

 ボクサーとして活躍してるという設定。
 でもただの短気な乱暴者みたいな印象を
 受けてしまい、あまり魅力を感じなかった。
 オリジナルを演じてたチャキリスが
 セクシーで大人の魅力満載で
 とても好きなので比べてしまうのも
 あるのかもしれない。
 いやあ、それにしてもオリジナルの
 ベルナルドとアニタは本当に最高なのよ。。
 “America”とかダンスパーティーのMamboとかね。

✴︎ダンスのフリ

 まあリメイクするにあたって
 撮り方も変わるだろうから
 仕方ないのかもしれないけど
 とあるダンスの好きな振り付けが
 完全に変わっていて、リメイク版でも
 同じ振り付けで見たかった!という
 シーンがあった。
 まあこれは完全に個人の好み😂
 
 とはいえダンスはどれも本当に素晴らしいし
 撮り方も迫力あってどのシーンも
 本当に高揚感ある。劇場で見るべき。

 

 

 

レナード・バーンスタインの音楽


これこそ言わずもがな、なんだけど
やはりミュージカルですから
醍醐味は音楽そのものである。

バーンスタインの音楽は
年を増すごとに魅力的に感じてくる。
(といっても多くは知らないのだが。)

この作品に関していえば
本当に彼にしか書けない個性的な、
というか突拍子もない、というか
掴み所のない?というか。

よくこんなフレーズ思いつくなあと
思うのです、わたしは。
変拍子があったり、作品に合わせて
ラテン楽器もたくさん入るし
多彩な味がポンポン用意されてて
全く飽きないのです。
だから3時間ほどの上映時間も
あっという間。

 

しかも、
テンポよく進んできたかと思えば
信じられないほど美しいハーモニー、
メロディの曲を持ってきたりするんですよ。
これを同じ人が書いてるのか、と思うほど。
音楽だけで泣いちゃうよ。
ギャップ、といっていいのかわからんけど
ある意味、反則技。笑

ラストシーンで流れる、その名も
“Finale”という曲なんて最たるもんで
なんと言葉で表したらいいのか
わからないほど美しくて
この曲だけは昔から好きで
どうしても涙が出てしまう。
シーンの内容とも相まって。

最後のベース音がずっと不協和音なのは
終わらない人種や民族間の争いや
今でも埋まらない溝を表現したものなんだそう。
確か「題名のない音楽会」か何かで
バーンスタインの弟子であった、
指揮者の佐渡裕さんが話していたのを見て
めちゃくちゃ感動した覚えがある。

それがこの映画や音楽に込められた、
メッセージなのだと思った。
Finaleだけど問題はまだ続いてるのよって。


正直、彼の曲を昔はそこまで
好きなわけじゃなかったんだけど
年を重ねて聞いていくうちに
彼の味が音楽の中で生き生きと
輝いているのを感じるようになって
感動が増してきて、羨ましいとさえ思う。

当時の彼が音楽に込めたエネルギーや
思いが今でも感じとれるようで。
やっぱりすごいわ。
他の人には書けないよ。
年々好きになります。バーンスタイン

 


と、本題とは若干ずれたところで
書きすぎたのでそろそろ終わりにします。
もう一回劇場で見たいなと思うくらい、
わたしは大好きなリメイクでした。

スピルバーグ監督、Bravo!🥳
リメイクしてくれてありがとう!

 

 

 

2022年1月のまとめ

 

行ったとこ、やったことの
簡単なまとめ。

1/1 清水寺京都市東山区

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初詣で賑わう清水の舞台。
高校の修学旅行ぶり。

 

1/2 報恩寺:京都市上京区

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寅年の三が日のみ、つまり12年に一度
公開される、豊臣秀吉ゆかりの「鳴虎」を見に。
毛が一本一本細かく、ふさふさ感を感じる描写。

秀吉と同じ空間にあったものが
今ここにって思うと本当に不思議よね。

ちなみにここは黒田官兵衛の息子、
黒田長政が病没した最期の場所でもあるみたい。

 

1/2 上賀茂神社(加茂別雷神社):京都市北区

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こちらも初詣で大賑わい。

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美しいご新馬
なでなでしたい。かわいい。

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目的はこちら。
「馬場殿」での新年能楽奉納。
「翁」と「羽衣」。お正月な演目。

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地元では御神楽だったので
能を奉納する文化は
京都を感じるなあ。
見に行けてよかった。

 

お腹がすいたので「厄除け大根」
いただきました。

味の染み込んだ大根、がんも
めちゃくちゃ美味でした!

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1/3 八坂神社:京都市東山区f:id:urisuke33:20220130225846j:plain

f:id:urisuke33:20220130225838j:plainこちらも目的は初能奉納。
開始時刻ぎりぎりに着いたので
能舞台の前はギャラリーでいっぱい。

(写真はどちらも終演後)

人の間から顔を出し、なんとか見られた。
「翁」や「三番叟」など。
どちらもお正月などの特別なお祝い時の演目。
いつもと違った新鮮な気分を味わえた。


1/11 上野リチ展 at 京都国立近代美術館京都市左京区f:id:urisuke33:20220130225850j:plain

一番好きだった作品「花園」。
マグネットとポストカード両方買っちゃった♡

都ホテルに使われていた壁紙コレクション、
めちゃくちゃ素敵だったなあ。
自分の部屋に壁紙にしたい。

 

上の階の窓から見た景色。
平安神宮の参道にある鳥居が迫力あって
思わず見入ってしまった。

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染織作家・志村ふくみさんの「風露」という
着物作品のポストカード。

ミュージアムショップで見つけて一目惚れ。
色の組み合わせがモダンでめちゃくちゃ好み💘

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1/14 建仁寺京都市東山区f:id:urisuke33:20220130225900j:plain

3、4回目くらいの建仁寺
前夜の雪が残っててお参りしてるときも
雪がちらつく寒さだった。

大好きな法堂の双龍図が見たくなって
休みの日にふらっと訪れた。
(ぜひたくさんの人に生で見て欲しい...)

 

鳥羽美花さん襖絵。
鮮やかで印象的な色使い。

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この日、足下タイツで行ってしまったので
木の床が冷え切ってて
足首から下凍るかと思った。

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1/22 tubara cafe:京都市上京区f:id:urisuke33:20220130225912j:plain

老舗和菓子店の鶴屋吉信直営のカフェ。
「生つばら」は想像以上のもちもち感で
10個くらい余裕で食べられそう。
また行こーっと。

 

1/27 鴨川さんぽf:id:urisuke33:20220130225916j:plain

 

1/30 下鴨神社京都市左京区f:id:urisuke33:20220130225933j:plain

前厄のため、友人と厄除け。
普段入れない本殿の中に入るので緊張。

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寅の存在感!かっこいい。

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1/30 京都国立博物館京都市東山区f:id:urisuke33:20220130225925j:plain

引っ越す前にも京都は何回も来てたけど
ここは初めて。
大きくて立派な建物!
予想外の敷地の広さ。

「新春特集展示 寅づくし−干支を愛でる−」
京都国立博物館のキャラクター
トラりんの元になった原画、
意外に小さくてかわいらしい絵だった🐯

 

おわり。

 

 

京都に来て1ヶ月

京都で暮らし始めて1ヶ月経ちました。

 

やはり初めてのところで暮らすからか

時間の流れが違って感じられた1ヶ月。

今までは寝て起きたら、もう1ヶ月経っていたから。

 

今のところ「あまり合わないな」とか

嫌な思いをしたことは特にありません。

まだそこまで深く知らないからかもしれませんが笑

 

引っ越してすぐ、

区役所に転入届を出しに行った時には

少し驚くことがあった。

新しい住所を書いて提出したら

「通り名わかります?」と。

「...ん?」と固まるしかない私。

不動産屋さんからもらった住所そのまま書いたのに。

 

有名な話だとは思いますが

京都には独特の地名があって

○○通りの「東入ル」「西入ル」とか

「上ル」「下ル」とかそういうの。

普段使いの住所書くときにはなくても

郵便とか宅配とか全然大丈夫だけど

正式な書類とか届出とかには

通り名までキチンと書かないと

ダメなんだそうです。(役所の人談)

そうとは知らず、、、

役所の人が一緒に地図見て探してくれました。

いや〜不動産屋さん教えておいてくれよ〜。

初日にそんな感じの京都らしい体験をしました。

 

京都についてからは寒波到来で本当に寒く、

実家とは暖房設備も違うし

家の中でも震えた。笑

今はだいぶマシになりました。

 

埼玉より海が近いからか

本当に雪がよく降ります。

実家の方は降る機会は少ないけど

降る時はどっと積もって

しばらく溶けずに凍結して残るけど、

こっちは結構積もってても

翌朝には全然残ってなくて

拍子抜けしちゃった。

 

こっちは量はそこまでだけど

パラパラ降ることが多い。

そんで1日の中で天気がよく変わる。

風も吹くし、雲の動きが速いような。

 

でも今年は雪が多いみたいなので

たまたまだったのかな?

だといいなあ。

 

そして乾燥はもちろんしてるんだけど

おそらく湿度が全く違う気がしてて

地元にいたころは

毎日怯えていた静電気が

こっちにきてから一度もない。

奇跡のように全くない。

体質的に蓄電しまくって

水道水にさえ痛い思いしてたのに。

 

そういった意味では

寒いけど、快適なのかもしれません。

でももう少し晴れ間は欲しいかな〜

そこはどうしようもないけど🙁

 

年末年始はずっと一人でしたが

母がお餅やらお節やらを送ってくれたので

ありがたい気持ちに浸りながら

ゆっくり過ごせました。

初めての関西での年越しだけど

お餅は実家の角餅。じーん。

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年末に急遽かった寅のお箸置き。

かわいい。

 

 

そんなこんなで大した不自由なく

割と快適に京都生活スタートできています。

不満なことをあえて挙げるならば

全体的に自転車マナーが悪すぎるところかな😇

何回も危ない思いをしたので。

私がぼーっと歩いてるのも悪いのかもしれないが...

縦横無尽にいろんな方向からくるから

京都市内を歩く時はみんな気をつけてね。

 

 

 

 

近況とこれから

 

ご報告、というほどでもないのだけど。

近況と今後について、

かなり長くなりそうですが書きます。

 

今の仕事を始めて7年目。

今月末で退職することにしました。

そして来年1月から新しい仕事に就きます。

 

それに伴って引っ越すことになりました。

というか当初から転居を目的とした、

転職活動だったのですが。

これからは人生で初めて故郷を出て

京都で新しい生活を始めます。

アラサーにして初一人暮らしです。

 

 

 

 

京都で暮らすこと

 

ブログにも旅行記を書いたことがあるけど

以前から京都暮らしに興味をもっていた。

きっかけは2018年のひとり旅で鑑賞した能楽

 

長い歴史の結晶を現代の生身の人間が

体で表現している姿を目の当たりにして

いたく感動し、この文化が醸成された街で

暮らしてみたいと思った。

というか住んでみないとわからないことが

きっとたくさんあるんだと思った。

それを肌で感じとりたかった。

 

元々ずっと故郷にいるつもりもなかったんだけど

地元に就職したら、そのままずるずる過ごしてしまい

そろそろ潮時かな、と思っていた。

心機一転、新しい環境に飛び込みたかったから

その場所を選択するなら「京都」だろうと。

 

そこに縁の人もいないし

まったく違う文化圏だし

「よそ者」としていくことに不安はあっても

それ以上に興味が優っていた。

 

転職活動がうまくいかないなかで2年半もの間、

よくこの気持ちが折れなかったなと

自分でも不思議に思う。

きっと、ただ純粋な知的好奇心だけが

自身を支え、奮い立たせてくれていたんだと思う。

 

新しい職場では京都の文化に触れ合いつつも

今に関わることもできそうなので

今からとてもわくわくしている😎

 

今の職場を離れること

 

医療現場で働く、ということに関しては

また別に書こうと思うが

様々文句を言いつつも勉強になることが

多かったのは良かった点だ。

医療の知識は今後も生活の中でずっと役に立つ。

 

ただ人のセンシティブな部分を扱う場所は

心を消耗させるような場面も多い。

時には現場がかなりピリピリしていたり

自分もそうなってしまうことが多々あった。

 

そんな「嫌な自分」を自覚して

自己嫌悪に陥るのは本当につらい時間で、

だから自分のためにも周りのためにも

この環境から出るべきだとずっと思ってた。

 

業務量が増えてくると

それに伴って拘束時間もどんどん増え、

体力的にも精神的にもしんどくなっていった。

好きなことをする気力もなく、

自分らしい生活なんて、二の次の毎日。

 

今の医療現場なんてどこも余裕ないだろうから

そんなもんなのかもしれない。

でもわたしは人生の限られた時間を

負の感情を持ちながら過ごすのはもう限界だったので

転職を決めて本当によかったと思っている。

 

本当、人生っていつ何があるかわからないから。

これを病院でひしひしと感じたから

違う生き方について考え始めたっていうのも

皮肉なようだけど。笑

 

周りの人は優しい人が多かったから

寂しさは当然ある。

(全ての人が、とは言わない。笑)

特に上司や名誉院長、部署の先輩方には

本当に本当にお世話になりっぱなしで。

皆がお父さんやお兄さんお姉さんみたいで

わたしは結構甘えさせてもらってたと思う。

 

退職の報告時は急な話で驚かせてしまったけど

一緒に喜んでくれて応援してくれる人が多くて

嬉しかった。

今まで情けないミスをたくさんしてきたけど

見捨てずに支えてくれたことに本当に感謝。。

 

でもわたし、やり切った感はすごくある。

自分にできることは誠心誠意取り組んできたつもり。

努力も精一杯してきたつもり。

思い残すことはない。

やり残したことも多分、ない。

短くも長くも感じる7年弱。

頑張ったよわたし。

 

全力出しきって今は逆にすっからかんだから、

寂しさはあるけど意外と身軽な気持ちなの。

お散歩感覚で次の街に行けそうな感じがあるんだ。

 

新年からはまた新人に戻るから

新しいこといっぱい吸収して

自分の頭の中をどんどん拡げていきたい。

まだまだ脳を細胞分裂させていきたい!

 

 

さいごに

 

そんなわけで。

気付いたらずいぶん長く書いていたけど

とりあえずのご報告でした。

もし知り合いの方で

お近くまでいらした際は連絡ください。笑

 

今月末には引っ越すわけだけど

実はまだ準備が全然進んでいなくてまずいのだ。

 

初めての引っ越しでわからないことや

やらなきゃいけないことが多すぎて

若干心が折れている💔

残念ながら有給全て消化できなくて

19日まで普通に仕事なんだけど

果たして引っ越しはちゃんと終わるのか!

まあ何とかなるよね〜〜

 

今年もあと少し。がんばろ。

 

 

 

名前の星回り

 

私の名前は「ゆり」という。

天体観測をライフワークにしている父が、

宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンにちなんで

付けてくれた。

男に生まれたとしても同じ漢字で

「ゆうり」という名前にしようと

思っていたらしい。

なかなかハイカラでかっこいいと思う。

ユーリくん。

 

 

その甲斐あってか?私は昔から

兄妹の中で一番、宇宙に興味を持っていた。

宇宙のことを考えていると、心が解放される。

だから人間関係のゴタゴタや諸々のストレスに

心がやられそうになったとき、

私は空を見て自分の名前を思い返す。

心が少し楽になる。

自分自身を思い出せる。

だからこの名前が大好き。

 

そして宇宙好きの繋がりから西洋占星術

いわゆる星座占いも昔から好きだった。

先日、名前と星座に関するとてもおもしろい、

というか奇跡的な発見をしたので記録しておく。

 

占星術で使われる星座は

牡羊座から魚座までの12個。

それぞれが持つ性質は【火・地・風・水】の

4つの元素(エレメント)に分類することができる。

(他にもいろんな視点のグループ分けがあってなかなか面白い)

 

その中で私の水瓶座は風グループ。

情報、知性、理論などがキーワード。

また水瓶座に関して言えば、

改革・革命・科学など進歩的な項目が並ぶ。

だから宇宙飛行士からとったこの名前は

水瓶座生まれの私にはピッタリだ!と

それだけで感激していた。

ゆりの「り」は、理論の「理」だし。

 

その流れで先日「そういえば」とふいに思い

兄と姉の名前と星座について考えてみた。

 

兄のエレメントグループは「地」

姉のエレメントグループは「水」

 

と、そこで気付いてしまった。

兄には「樹」、姉には「潤」という漢字が

使われている…

 

に根差す「木」

の「い」

 

漢字の表す意味とエレメントのイメージが

こんなにピッタリはまるなんて!!

同じ読みの漢字が多数ある中で、だよ。

 

しかも父に直接聞いたら

宇宙に関する名前をつけたのは私だけで

兄や姉の場合は、読みや響き先行というより

前述した漢字を名前に入れたいと思って

考えたそうだ。

つまりその漢字を狙って付けている。

 

父は占星術には全く興味がないし

私が嬉々としてこの発見を話しても

「へえ~そうなんだ」くらいにしか

反応していなかったけれど。

これ偶然なのだから、尚更すごい。

奇跡すぎる~!!と思って

私はめちゃくちゃ興奮しました。笑

(ちなみに姉も父とほぼ同じ薄い反応だった)

 

宇宙との繋がりを感じられる名前をもらって

本当にありがたいなあと常々思ってきたけど

兄姉にまでこんな感動的な発見をしてしまうと

運命的なものを感じてしまってならない💘

 

こんな嬉しい偶然を見つけられたのも

長年、宇宙に情熱を注ぎ続けている父が

無意識的に引き寄せた結果なのかも🌟

そう思うとめっちゃ夢があるよねえ〜

 

この名前を一生誇りに思って生きよう。

 

 

10年

東日本大震災から10年経った。

 

10年というと0歳が10歳に、

10歳は20歳の成人に、

そして当時20歳と1ヶ月だった私は

30歳になった。

 

こうやって数字で見ると

とんでもなく長い時間に思える。

 

ただ私にとって全く実感がなく、

数字の印象だけが先走ってる。

つい2、3年前くらいの出来事のように思える。

 

当時は大学2年の春休み。

そこから考えればこの10年、

もちろんたくさんの環境の変化があった。

 

今当たり前のように私がいる環境や

周囲の人間関係はかなり大きく変わった。

 

そもそも大学を出たし、音楽学校も出たし

就職をして5年も経った。

 

 

姪も甥も飼っているうさぎも

まだこの世に生まれていない。

数年前事故で亡くなった、

従兄弟のおにいちゃんもまだ生きていた。

 

そんな時代にあの震災が起きたのだ、

と思うととんでもなく昔に感じる。

けど当時を思い出せば全く昔に感じない。

むしろ当時の時間が遠くの私の中にすら

まだ漂っている気がする。

なんとも不思議な気持ちを抱く。

 

 

 

父は福島の生まれで

特に原発事故の映像やニュースを見るたび

今でも静かに憤っている。

 

首都圏の電力確保のために

犠牲になり続けてる故郷をみて

震災当時は特につらそうな様子だった。

 

近所のレジャー施設に福島県民が

避難してきた時も支援物資を持って

話をしに行っていた。

行かずにはいられなかったのだと思う。

そんな父を見るのが少しつらかったのを

覚えてる。

 

 

私は震災のちょうど1ヶ月前

2011年2月11日 家族と仙台にいた。

1ヶ月予定がずれていたら

あのど真ん中にいたのかもしれない。

たまたま1ヶ月前だっただけで

巻き込まれずに済んだ。

 

偶然の重なりで私は今も

運良く生きていられている。

 

それぞれの人がそれぞれの場所で

それぞれの思いを持って

生きてきた10年だと思う。

そのすべてが無駄ではないと思う。

 

私もこの10年抱いてきた思いを

全部心に留めたまま

また一日一日を重ねていくぞ。